活字を愛し、活字に愛された弁護士の本棚

or: How I Learned to Stop Worrying and Love the "Words"

一人称が当職という弁護士

とうしょく【当職】

 
( 名 )
この職務。この職業。
現在の職務。現職。 「安藤武者右宗、そのころ-の武者所でありけるが/平家 5
( 代 )
一人称。現にその職務についている者が用いる。自分。わたくし。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

 

恥ずかしながら、弁護士が自分のことを指して、つまり一人称として「当職」という言葉を使っているのを知ったのは、弁護士になってからしばらく経ってからのことだった。

 

そもそも、弁護士が日常会話の中で自分を「当職」と言っているのをあまり耳にしたことがないので、今も昔も、これは話し言葉ではなく、書き言葉の世界のことなのだと思っているのだけど、弁護士間のメーリングリストなどで徐々に見かけるようになり、よくよく見ると準備書面などでも使われていたりするなと思うようになっていった。そうやってだんだん違和感を感じなくなると、無意識のうちに(書面上使うのは便利だったりすることもあるので)自分も使っていたりして、我ながら驚くばかりであったりする。

 

で、こういう「いかにも弁護士らしさを演出するプロトコル」って、内側(同業者間)だけで使うべきものなのか、外側(お客様とかクライアント様とか)においても使うべきなのかたまに迷うことがある。弁護士の仕事=純然たる情報やサービスの提供と考えればそれは煩わしい夾雑物でしかないことになるが、一方でお客様の側でそういう弁護士らしさもサービスのパッケージとして見ていて、それを期待しているのであれば、それに応えるのもプロであることは認める。

 

しかし、自分はそういう側面もあることを認めながらも、あえて弁護士っぽくない弁護士になろうと決めている。それはあるとき、「弁護士らしいプロトコル」がある意味とても便利な「使えるツール」であることに気が付いてしまったからである。

 

「弁護士らしいプロトコル」を使うと、人は割と無条件に自分を弁護士として認識する。そこには、ときに自分の能力以上のものが付きまとうこともあり、その切れ味にたまにびっくりすることもある。その切れ味は、自分を安心させてしまうこともあって、それが自分のスタンスを迷わせることを一番恐れていたりする。

 

別にそんなことはどうでもいいし、そんな下らないことにこだわっているお前がかっこ悪いと言われるであろうことは百も承知で、かつ一人称が「当職」という弁護士に対してそれがどうだという気は1ナノメートルもないことを表明した上で、自分は当職と名乗りたくないことをここに宣言する。